信長公がかつて頂上から眺めたすわがね
武田家の家督を継いだ勝頼は、最初の戦いにここ美濃を選びました。天正2年、武田軍は明知城(白鷹城)を包囲します。その知らせを聞いた織田信長は明智光秀を従え、岐阜より援軍としてこの地へ赴きました。明智年譜には「信長自ら鶴岡山に出陣」と記されています。
戦国最強とうたわれた武田軍はまさに最盛期を迎えていました。対岸の一夜城に陣を構えた武田軍は怒涛の攻撃をしかけます。ついには、場内の謀反もあり、明知城は陥落してしまいました。「織田勢一支もなく信長止むなく数里後退」とあるように、信長は防衛をあきらめ、退却しました。
武田勝頼はこの戦いから、父信玄にも引けを取らない武功をあげていくことになります。一方、織田信長はこの敗戦をきっかけに、長篠の戦いへとつなげたことでしょう。
さて、武田軍が陣を構えた一夜城には、古くから愛宕神社が祀られています。この8年後、明智光秀は、京都の愛宕神社で「時は今、雨がしたしる、五月かな」の連歌会の後、本能寺へと向かいました。光秀の心の中に、勇壮な武田軍の戦いが思い浮かばれていたかもしれませんね。
御城印 好評発売中
〇御城印の発売場所
大正村観光案内所
岐阜県恵那市明智町457
0573-54-3944
〇御城印の種類と価格
・黒字 300円
・金字 500円
〇御城印の特徴
家紋は織田信長の家紋(織田木瓜)。
色は信長の肖像画の着物に合わせました。
「時すでに遅し 織田軍明智光秀布陣の砦」は、
明智光秀が陣を張る最中、明知城が陥落して
しまった様を言葉で表現しています。
吉田地域活性化委員会は、令和元年度 緑の募金公募事業「子どもたちの未来の森づくり事業」の採択を受け、「閉校してもみんなの森はみんなで守ろうプロジェクト」事業を実施しています。
倒木や危険木など人が立ち入ることのできない登山道。雑木が生い茂り、展望はおろか光の入らないうっそうとした頂上の山でした。
多くの子どもたちと一緒になり、登山道を整備しました。
雪の積もる日もみんなで作業を続けました。
沢を渡る橋も、手作りで設置しています。
安全に作業を行うための、チェーンソー講習会を実施しています。
すわがね登山道のマップを作成しました。
のぼり旗を設置し、陣城らしくなりました。
林道のグレイチングの整備をしています。
道路も土を入れて整備しました。
ビギナーにも手軽なすわがね登山道。春夏秋冬楽しめるウォーキングを開催しています。
森に囲まれながらのツリークライミングは最高!子どもから大人までが楽しめる木登り体験です。
この森から生まれた水は、明智川、矢作川、太平洋へ流れていく。水源の大切さを学ぶ学習を行っています。
樹木が枯れて、倒れて朽ち木になり、また新しい芽が出ます。これが自然の森のサイクルです。
木を使った木工体験教室は、子どもたちに大人気です。木と触れ合うことを学びます。
ゆるキャラの焼き印でつくるコースターづくり。世界で一つだけのオリジナルコースターの完成です。
すわがね(鶴岡山)
岐阜県恵那市明智町大泉
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